OSHIMA ISHI

牛久大仏

大島石

西の横綱、そして“石の貴婦人”
力と美を併せ持つ稀有な石として、
人々を惹きつけ続ける国産銘石。

愛媛県今治市・大島。
この瀬戸内の島から産出される大島石は、
西日本では「墓石といえば大島」と言われるほど
高い人気を誇り、
その圧倒的な存在感から
“西の横綱”と呼ばれてきました。
一方で、青みを帯びた上品な石肌と
落ち着いた艶は、
見る人に気品を感じさせ、
“石の貴婦人”の異名でも親しまれています。
力強さと優美さ、
その両方を兼ね備えていることこそ、
大島石の魅力です。
磨き上げられた青みは、
柔らかな光の中で凛とした艶を放ち、
墓所に格調高い佇まいをもたらします。
石質は硬く、吸水率が低いため
風雨にさらされても色褪せにくく、
百年を超えても
美しさを保ち続けることができます。
その安心感から、
代々受け継ぐお墓にふさわしい石として
広く選ばれてきました。
歴史をたどれば、江戸時代の城郭や石垣に使われ、
今治城、大阪心斎橋、愛媛県庁といった
建造物にもその姿を残しています。
さらに文学者・司馬遼太郎、
俳人・正岡子規、大平正芳元首相など、
多くの著名人が眠る墓所にも
大島石が選ばれてきました。
歴史的建造物と人々の記憶の中に、
その存在は確かに刻まれています。
瀬戸内の海とともに歩んできた大島石は、
静かで落ち着いた色合いの奥に
確かな力強さを秘めています。
力と美を併せ持つ稀有な石として、
今もなお人々を惹きつけ続ける国産銘石です。

今 治 城

大島石のお墓

Grave of Oshima Stone

日本

MADE IN JAPAN

庵治石と並び日本を代表する最高級石種。
青みを帯びていて硬く、色あせもない。
墓石として建立した際の凛としたたたずまいから、
「石の貴婦人」という異名を持つ。

大島石

赤坂離宮

大島石

今から約400年前、かの徳川家康が藤堂高虎に、伊予の国今治への築城を命じたことから大島石の歴史は幕を開けました。大変な困難を伴う大事業を任せられた高虎は、秀吉の大阪城築城で腕を磨いた石積名人・治衛門を石積棟梁の一人に任命しました。城は1604年(慶長9年)に完成しましたが、彼らは石垣だけでなく秘密の抜け穴も造ったので、藩主より情報漏洩を封じるための処刑命令が出されました。その難を逃れた治衛門は大島に辿りつき、そこに良質の花崗岩が埋もれているのを知り、自らの技術を生かして切り出したのが、大島石のルーツであると言われています。
代表的な施工例は、1894年(明治27年)海軍省、1895年(明治28年)奈良帝室博物館、1906年(明治39年)豊臣秀吉墓所、1908年(明治41年)大阪心斎橋、1911年(明治44年)四条大橋・七条大橋、1920年(大正9年)大阪図書館、1931年(昭和6年)高野山金剛峯寺金堂、1933年(昭和8年)西郷隆盛銅像台、他にも、国会議事堂・赤坂離宮・日本銀行・出雲大社大鳥居・東宮御所・難波橋・戎橋・道後温泉・石鎚神社大鳥居・北海道釧路港など多数使われています。また、司馬遼太郎や正岡子規、秋山好古など著名人のお墓にも多く使われています。

大島石