VOICE

牛久大仏

お客様の声

VOICE 10 茨城県龍ケ崎市 M様
【はじめに】

1994年(平成6年2月)、いつも明るく元気で働き者の母(享年81歳)が帰らぬ人となりました。その後、首都圏最大級の公園墓地である牛久浄苑・牛久大仏が開園し、営業担当者の訪問をきっかけに、我が家はその縁で同年8月に永代使用権を取得しました。

【お墓の建立】

それから2023年(令和5年9月)、私が80歳(傘寿)を迎えた頃、新しい営業担当者が訪れ、新たな提案と私の考えを共有する中で、お墓に対する理解が深まりました。家紋の彫刻や墓誌の表記、永代供養などについての相談も行い、牛久浄苑の護持制度やサポートについて丁寧な説明を受け、心から感謝しています。
自然に恵まれた庭園墓地であり、大仏様に見守られ、四季折々に花が咲き、様々な楽しいイベントが行われていることが、お墓を建立する決断に繋がりました。

【これから】

2024年(令和6年2月)、母の命日に合わせて故郷の墓じまいと、好天に恵まれた牛久浄苑で、開眼供養とご先祖様の納骨法要が行われました。この大きな取り組みを終え、営業担当者や関わった方々に深謝とお礼を申し上げます。
心安らぐ浄苑は車で20分で行けるので、桜が満開の時期に合わせて、兄弟でお墓参りと法事を計画しています。思い出話に花を咲かせながら、ご先祖様に感謝と尊敬の気持ちを込めて墓前に手を合わせます。合掌。

VOICE 09 埼玉県 K様

私は宮城県仙台市の出身で、仙台にお墓がありました。
東日本大震災の3ヶ月前に父が亡くなり、2019年に母が亡くなったため、私たちが住んでいる関東にお墓のお引っ越しをすることになりました。
管理がしっかりして、都内に住んでいる子供達が来やすく、駐車場からも近いところが希望でした。そして、全ての希望が叶う牛久浄苑でお墓を建てることになりました。
ガラスを使ったのは、須藤石材の営業の方からの提案です。ガラスのお墓を考えていなかっただけに、興味津々でした。それに、完成時のイメージが想像できるようにCGなどで説明をしていただいたので、安心して進めることができました。
ガラスに彫った桜は、両親が宮城県沖地震と東日本大震災を経験しており、どんな災害に見舞われても春になると咲く桜に勇気づけられた話をしていました。また、仙台は冬が長く、桜が待ち遠しい思い出があったので、満開の桜を彫刻しました。
墓誌のブロンズ製の「あやめ」は、「良い知らせ」「希望」と、とても素敵な花言葉で、「父と母がいつまでも私たちを見守って導いてほしい。私たちは元気に過ごしているよ」という思いが届いたらとの願いと、実家の庭に「あやめ」が咲いていたことからつけていただきました。
出来上がったお墓は、想像以上に素敵なお墓でした。何もわからない私たちを導いてくださり、私たちの想いが全て入ったお墓を作っていただき、心より感謝いたしております。ありがとうございました。

VOICE 08 茨城県 O様
「眠雲…のこと」

牛久に居を構えて30数年。最愛の妻に先立たれ、生きる気概を失いかけて早2年。4月には、妻の三回忌を迎える事となった。
墓地を求めて無かったので、昨年末に探し始めた。牛久浄苑様にパンフレット送付をお願いし、約二週間後営業の方に浄苑案内して頂いた。様々のタイプのお墓の見学や詳細な説明を聞き、また永代護持制度の話を伺い、先々の不安や心配事もやや薄れた。今回販売の3区6番の、大仏様を左手に眺めながらお参り出来る、公園的開放感のグッドロケーションに自然と魅せられた。思いもよらず仮予約までして帰宅した。
それまで、お墓のことで種々悩んでいたことが嘘のように、トントン拍子で正式契約に至り、一つの重荷を下ろし晴れ晴れスッキリした気分。その後、石材選びや形体等々、また碑面の事等丁寧なアドバイスを受け、種々安心して進められた。営業の方との阿吽の呼吸、これも不思議な縁と納得もしている。
3月中旬に墓石も完成。これでやっと、亡き妻に終の住処と決めた牛久の地で、ゆっくり眠って貰えそうだ。黄泉の国では、生前出来なかった亡妻孝行の覚悟も決めた。
因みに、墓石表面の書は草書で2008年筆。眠雲(雲に眠る)とは、雲中に眠るとか山中に住むとかの意。敬慕する江戸末期の貫名菘翁の「眠雲臥石」から援用。刻石の際、点画の重なりやカスレ等の面倒な依頼にも、見事に応えて拙作をより引き立てて頂き感謝のみである。
最期に、須藤石材の営業や刻者の方々に大変お世話になり、心から感謝申し上げ、拙い墓石建立記としたい。合掌。

VOICE 07 茨城県 A様

妻が亡くなりお墓を建てることにしました。
2つの霊園を見学しました。2つとも自宅からは距離的には近かったのですが、色々な面で納得いくものではありませんでした。
牛久浄苑を見学する前に「牛久大仏が観光地化されており、観光客が多く騒がしいところ」という印象を持っておりましたが、実際見学すると静かで壮大な霊園でした。毎日大仏様に見守られ何かほっとする感覚さえありました。子供たちに将来お墓の負担をかけないために、牛久浄苑にしかない永代供養(護持)制度があることも決め手になりました。
妻の名前の由来が京都の「妙心寺」からということで、墓石には「妙心」と彫刻いたしました。バラの花が好きで生前自宅の庭で多くのバラを育てており、大好きなバラの花も彫刻することにしました。庭に咲いている自然な感じを出す為、いろいろ工夫し希望通りのお墓ができ大変安心しました。
距離的には遠くても、高速道路を使うと自宅から40分で来られるので、今は2週間に1回はお参りにきております。

VOICE 06 東京都 T様
二世代建墓に思いを寄せて

平成最後の夏、母がこの世を去りました。両親は平成5年に墓地を購入しておりましたので、いよいよ墓石を建てることとなりました。なにしろ初めてのことでしたので、戸惑いがありましたが、須藤石材(株)担当者様の家族に寄り添った誠意ある対応のおかげで、石選びからデザイン、自筆による活字の彫刻まで安心して進めることが出来ました。
母は生前、石碑には父が書いた文字を彫ってほしいと望んでおりましたので、母の想いが叶ったこと、そして品格のある立派な墓に仕上がったことに、父も弟家族も大変満足しております。
「自分たち家族の墓もここに建てようか…」打ち合わせのため父に付き添い、初めて牛久大仏を拝観した時につぶやいた主人の言葉に胸が高鳴り、感動したことを覚えております。幼い頃、祖父母に連れられてピクニック気分で参拝に訪れていた2人の息子たちも、喜んで賛成してくれました。
両親の墓を参考とし、墓石は同じ品種を、デザインは現代風を意識して選びました。石碑には、家族で大切にしている言葉を自筆で刻みました。
整備の行き届いた清々しい環境、四季折々の麗しい草花が咲き誇る中、大仏さまを一望できる雄大な牛久浄苑に建墓できましたこと、おりしも令和の幕開け5月に完成しましたことに大きな喜びを感じ、強い安堵感にひたっております。
両親の建墓から引き続き、細かな注文も快くお引き受けくださり、いつもあたたかくお世話くださった須藤石材(株)担当者様に心より感謝申し上げます。

VOICE 05 茨城県 T様

〈ご主人〉
私たちには子供がなく、老後のことを考え、今から30年前にお墓を用意しました。当時、会社が東京のため、通勤可能な柏に住居を持ち、お墓も柏に求めました。自分なりに一安心と思っておりました。
私たちも80歳を超え、妻も介護が必要になり、姪に私たちの老後をみてもらうことになり、自分の意思で色々と引き継ぎたいと考え、弁護士に依頼し引き継ぎました。ところが、お墓だけは引き継ぎが出来ませんでした。理由は、永代使用ではなかったため、お墓の継承は継承者が同じ墓地利用の契約をし、管理料を支払い、使用することが条件でした。使用料は、柏市という地域でもあり高額であることや、姪が高齢となり、管理料が滞った時は、お墓そのものがなくなってしまうことがわかりました。
30年前とはいえ、お墓はとても高額でした。今になってお墓の心配をするとは夢にも思っておりませんでした。
そのような時、姪が牛久浄苑にお墓を買い替えることをしてくれました。牛久大仏の場所も広々としていて、見学に行き、一目で気に入りました。

〈奥様〉
牛久浄苑を見に行き、とても感激しました。明るくて、昔のお墓のイメージではなく、とても癒される感じです。
墓石も、姪がデザインしてくれました。とてもかわいいお地蔵様です。
姪が親のために建てたお墓の近くです。ありがとう。

VOICE 04 茨城県 N様

牛久浄苑にお墓を建てて、来年で10年になります。
主人は茨城県稲敷市柴崎出身。元々歌手ではなく、浪曲が好きでした(のちに浪曲師となる)。坂東太郎(利根川)という知名度のある地元の茨城県でお墓を建てようと思いました。人の前に立つことが好きな人でした。大勢の方が集まるところという思いから、大仏のある牛久浄苑にお墓を建てたいと思いました。西向きにしたのは、主人がいつでも大仏が見え、冬場でも西日が当たって墓石が暖かいからです。
お墓で一番こだわったのは何よりも記念碑です。記念碑には主人の歴史、サインが入ってます。墓石には主人の好きな字体で名前を入れました。こだわったため時間がかかりましたが、満足いくお墓ができてうれしく思いました。
お墓参りに月数回はきています。ファンの方が来ていただいた時に、きれいなお墓でお参りしていただきたいと思うからです。お墓に供えるお花もその季節の花を入れ、時々交換をしています。主人への感謝の気持ちでいっぱいです。
2015年8月13日に、お墓参りに来た際にNHK「ドキュメント72時間」で取材を受け放送されました。またその時に、主人の曲を流してくれました。放送された後、いろいろな方から電話があり、今でもファンの方々からのご連絡はとてもうれしく思います。

VOICE 03 東京都 T様
今までの人生の歩み・・・

波乱万丈の人生を夫婦(家族)とともに歩んできた道程・・・人生の節目(2人併せ約140歳)・・・正に画竜点睛の時期を迎える。
回顧しますと、須藤石材(株)様とのお付き合いは約20年前。妻の両親の相談(墓地)を受け、暗中模索の中での出会いでした。
お客様満足度向上の概念を取り入れた誠心誠意の対応は、とても安心感のあるものでした。将来を見越して、まず墓地「2世帯」の購入からの始まりでした。

牛久浄苑との出会い

世界一(120m)の牛久大仏の臨場感溢れるそのダイナミックな演出に圧倒され、その魅力度に感動。四季折々の花園と大仏様に囲まれた安らぎのある環境に安堵感を覚えます。
此のたびの意思決定は訪問営業の方との出会いからでした。私たち夫婦が「健在時にお互いに納得のいく終活の準備を・・・」と思っていた矢先に、営業の方からの幾度となく熱意と誠意のある対応に、私どもは共感し検討する事にしました。私共の諸条件「品質、デザイン、出来栄え、活字(自筆等)、予算、事例、20年間保障等」内容を精査確認致し、好条件の紹介と判断いたし契約しました。
特に彫刻文字は参詣いただいた方へのお礼のお言葉、感謝の意「ありがとう」を刻んでいただきました。
そして「いい夫婦の日(11/22)」の完成となりました。

御礼のことば・・・

引渡時期に感謝、出来栄えの品質に安心、そして次世代に後継出来る「礎」を築けた事の安心感をもって、また新たなる未来へ向けて、これからの人生を二人三脚でスタートしたいと思っております。

VOICE 01 茨城県 Y様
お墓を建てたきっかけ

東日本大震災で元々地元のお寺にあったお墓が壊れてしまいまいました。その事がきっかけで新たにお墓を購入することになりました。

なぜ牛久浄苑に決めたのですか?

具合いが悪くても、天気が悪い時でも自宅の戸を開ければ大仏さまが見えます。主人にも勧められ購入しようと決めました。
窓からは大仏様の後ろ姿しか見えないんですが、後ろ姿でも手を合わせればお墓に手を合わせているような気持ちになれます。
また、いつ来ても清潔で綺麗に整理されていて気持ちがいいですね。
私の家は、お墓を守る人が私の代で途絶えてしまいます。中で眠っているご先祖様のことが心配だったのですが、永代護持制度がある牛久浄苑にして良かったと思います。

どうしてあの区画を選んだのですか?

駐車場からすごく近かった事と、誰がお墓参りに来ても分かりやすい場所なのでいいと思ったんです。
お墓を西向きに建てると、お参りに来てくれた人が大仏様を見ながらお参りできるのでいいかなと思いましたが、親戚の方から「おじさん(父)は、いつもおてんとうさまが昇るのを見て、夕陽を背中に浴びて帰る。毎日そんな生活だったのだから東向きのほうがいいよ」とアドバイスをもらったので、最終的に東向きにしました。

お墓のこだわったところはどこですか?

以前あったお墓は草取りが大変でした。今度お墓を建てるときは手間がかからないお墓にしたかったんです。そのため、石碑の周りは砂利ではなく敷石にしました。
建ててからもう5年は経ちますが、草取りをしなくていいので本当に敷石にして良かったです。また以前のお墓は白っぽい石だったので、今度は黒い石で建てたいと思いました。
墓石に刻む言葉はしばらくどうしようかと考えていましたが、最終的には「ありがとう また会いに来てね」と母が決めました。また、花立には母の好きな桜のイラストを彫ることに決めました。
希望通りのお墓ができてよかったです。